« 清く正しい本棚の作り方 / (TT)戸田プロダクション | メイン | のはなしさん / 伊集院光 »

アマガミSS 12 絢辻詞編下巻 / 2010年・日本

★★★★★
本当に自由になれるでしょうか?どうか教えて

先にアニメーション版を観た上で、原作であるところのゲーム(エビコレ+ アマガミPSP版)の「絢辻詞ルート」をプレイした上での感想を。

ゲームをプレイしてから、改めて綾辻詞編を観て感じたのは、尺の問題もあるかも知れませんが、絢辻詞がクラスメイトに本性を露にするシーンを除き、ゲームと比べて綾辻詞の性格が幾分か柔らかく、かつゲーム以上に感情的になっている印象を受けました。

パッと見では、『綾辻詞に振り回される頼りない橘純一』という図式が思い浮かぶものの、注意して物語を追っていくと、第一章では実行委員の仕事に不慣れだった橘純一が、第三章では後輩に頼られるまでになっており、逆に綾辻詞のほうが、第二章で完璧を求めていると言っていた割に人手不足に陥る事を予測できず、第三章で橘純一が提案した、クラスメイトに協力を仰ぐことを渋ったり、彼女に噛み付いてきた三人の女子生徒に『成功したら実行委員長である綾辻さんの手柄にでもするつもりかしら?』と、痛いところを突かれ、更には橘純一を傷つけた事がトリガーとなってあっさりと『裏の顔』を露呈して逆ギレしたりと、クレバーに見えて意外と『抜けている』ことが分かります。むしろ、橘純一のほうが「そうだよ。絢辻さんはいつももっと堂々としてて、こんな状況いくらだって上手く切り抜けられる人じゃないか。ううん、本当はこんな状況になる前にもっと...。」と正論を言われてしまう始末ですし。そのフォローが良かったかどうかは別の話ですが。

また、綾辻詞がクラスの中で孤立するシーンは、大人にはない、子供ならではの残酷さが出ていますが、準主役的な立ち位置である棚町薫の、陰湿な事を嫌うという性格をうまく利用してちゃんとフォローアップできているところはうまいなと感じました。

創設祭の成功という自分自身の目的の達成と、橘純一の気持ちが自分から離れないようにするために、良かれと思って本来の自分を殺し、他人受けするパーソナリティに変えてしまうところは、綾辻詞の器用なところであり、物事を軌道修正ではなく、ワン・オア・ナッシングでしか処理できない不器用な部分なのでしょう。
梅原に励まされつつ、図らずとも創設際の打ち上げという絶妙なタイミングで綾辻詞と向き合い、言葉でちゃんと彼女のすべてを受け入れる旨を伝えた事により、ゲームには無い『三連コンボ』を食らいつつも、空回りしていた彼女の心を『解放』そして『介抱』した橘純一の行動は、並の大人の男でもそうそう出来る事ではございません。

余談ですが、第三章で橘純一と綾辻詞がクラスメイトに協力を依頼するシーンで、最初は協力を渋っていたクラスメイトが、薫や梅原たちが手を挙げた途端に周囲もそれにつられて手を挙げるシーンは、ダチョウ倶楽部の「俺がやる」「いや、俺がやる」「だったら俺やるよ」「どうぞどうぞ」が脳裏をよぎり、少し笑ってしまいました。同時に、件の三人の女子生徒が不本意ながらも一度手伝うことにしたくせに、「あ~あ、やってらんない。」と言うのもどうかと思いましたが。とは言え、学校という空間は、良くも悪くも集団心理が働きやすい場所で、彼女たちも「俺がやるよ」に流されてしまったのでしょう。自分が小中高生だった頃もそんな部分がありましたから。

DVD盤はこちらとなります。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.hirakata.co.uk/cgi/mt/mt-tb.cgi/1182

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2011年5月 5日 14:46に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「清く正しい本棚の作り方 / (TT)戸田プロダクション」です。

次の投稿は「のはなしさん / 伊集院光」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。